遠州福田六社神社祭典 浜松まつりの屋台と彫刻
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遠州地方で唐破風造り屋台を手がけられている大工さんをご紹介します(車鍛冶含む)。基本的に私が訪ねてお話を伺い写真も撮っていますが外部リンクのページもあります。
(磐田市-浜松市-掛川市-森町)

《ご参考》
→浜松百撰1972年5月号No.174「屋台特集」PDF~同撰編集部さんの許可を得て掲載


《磐田市》

熊谷建築
2003/02/17撮影棟梁・熊谷仁志(くまがいひとし)さん。1950年(昭和25年)磐田市中大原生まれ。子供の頃から手先が器用で木が好きだったことから大工を志そうと、中学を卒業して親戚筋にあたる磐田市天竜の田中由男棟梁に弟子入りした。昭和60年に独立し主に住宅を手がけてきたが、地元の屋台建造を依頼され、平成6年に見事「矯風社きょうふうしゃ」を完成させた。
「やはり4輪の破風造りの屋台が好きだね。携わっているとわくわくしてくる。限られた予算の中で工夫して、見た目のバランスがとれる屋台になるよう心がけた」という。
また昭和63年の福田「い組」修理時には、掛塚横町の平野道男棟梁から依頼されて解体・組み立てに協力している。旧福田町では「石田組」を製作。
関連ページ
→矯風社 →石田組 →中泉西新町 屋台修理


天峰建設
2003/02/17撮影棟梁・澤元教哲(さわもとみちのり)さん。1958年(昭和33年)水窪町出身。周智郡森町の職業訓練校を昭和48年に卒業後、磐田市鎌田の奥田建築に入社。18歳のときに鎌田神明宮の大遷宮(60年に一度)に携わったのがきっかけで寺社建築に興味を持ち、浜松市中野町の宮大工・故菅沼照二氏のもとで勉強をした。昭和54年に「住建さわもと」を創業、昭和63年に「株式会社天峰建設」に組織変更。寺社建築専門で仕事を請けており、祭り屋台は平成7年の磐田市長江地区屋台をはじめとして現在までに9台の実績がある。平成7年11月に県優秀技能者として表彰されており、平成15年11月には厚生労働省から現代の名工に選ばれている。
磐田市天竜の田中棟梁とは磐田建築組合の仲間であることから、屋台造りの唐破風施工などで技術協力を受けている。


田仲工務店
棟梁・田中由男(たなかよしお)さん。1930年(昭和5年)9月周智郡春野町領家に生まれる。15歳の時に名古屋の陸軍にて終戦を迎え帰郷、その年の12月に当時掛塚の警察に勤務していた兄の紹介で掛塚横町の堂宮大工・平野孝棟梁に弟子入りをした。「ヘマをするとすぐにげんのうが飛んできた」という厳しい指導環境の下で腕を磨き昭和30年に独立、磐田市天竜に田中工務店(後に田仲工務店に改称)を構える。
福田では昭和26年「奴連」、昭和29年「ひ組」に弟子として携わり、また昭和63年「こじま」屋台の購入に尽力、平成12年には修理も請け負っている。平野流を踏襲した伝統工法による屋台造りには定評があり、2006年には建造100年を迎える掛塚「横町」屋台の大修理にも腕をふるった。
2011/12/24引退、2013/09/23逝去。
外弟子=磐田市大原・熊谷仁志さん
内弟子=磐田市海老島・新川典明さん
→2001/07/28_周智郡春野町平尾地区「有声社」屋台解体
→2004/09/19_「昭和組」ミニ屋台制作
→2006/09/17_掛塚横町の屋台組立て
→2009/05/24_磐田市堀之内新屋台披露
→2009/08/30_「い組」屋台組立


新川建築舎
棟梁・新川典明(にいかわのりあき)さん1974年(昭和49年)磐田市生まれ。
平成2年に浜松市内の大工棟梁に入門。平成8年に磐田市天竜の田中棟梁と出会い屋台技術を学ぶ。以来家業の新川建築舎として住宅建築と平行して祭り屋台にも携わってきた。平成18年の掛塚横町・百年目の大修復には脇棟梁として活躍し、以後の保守点検も任されるなど横町からの信頼も厚い。2011年末の田中棟梁引退後は後継者として屋台業務を引き継いで見積もり・施行を全て行っている。また掛塚横町の平野本家からは平野流を名乗ることを認められており、平野流棟梁としてこれからの活躍に大きな期待が寄せられている。
→2004/09/19_「昭和組」ミニ屋台制作
→2006/09/17_掛塚横町の屋台組立て


福井建築
2003/03/14撮影_磐田市中泉2253-1棟梁・福井久雄(ふくいひさお)さん。1931年(昭和6年)に磐田市御殿に生まれる。学校卒業後大工の道に進み、市内坂上町の内山工務店に弟子入りし昭和41年に独立。住宅建築一筋だったが、昭和55年完成の地元御殿の屋台を内山工務店が請け負ったことから花屋台新築の方を任され、地元の大工と協力し合って完成させた。この仕事が縁で同じ町内の牧野製材所(有)・牧野慎司氏(2002年1月に79歳で急逝)と組んで屋台を造るようになる。祭り好きで交友の広い牧野氏が屋台の注文を受けて材料も用意し福井氏が造るという役割だが、屋台建築は独学。「いろいろな屋台を見に行ったり専門書を読んで研究した。自分で請けた3台を含めて今まで15台ほど造った。牧野さんとはいい仕事をさせてもらえたよ」という。
→2007/06/27_恵比寿屋台の経緯
旧福田町では「塩新田」「中野連」


古田社寺屋台建築
棟梁・古田正孝(ふるたまさたか)さん
→2015/03/28_訪問記(JA記事含む)
→2015/09/20_磐田市駒場新屋台披露


《浜松市》

大城総建
2003/05/01撮影棟梁・大城勝久(おおしろかつひさ)さん。1948年(昭和23年)浜北市中瀬に生まれる。当時浜松市幸町の職業訓練校を卒業して同市高林町の宮本工務店に入社。4年の修行の後独立し住宅専門に仕事をしてきた。地元中瀬6区の祭り屋台を依頼されたのがきっかけで、独学で屋台建築を研究し平成5年に完成。その実績を買われて翌平成6年浜松市笠井町西町、以降竜洋町平松、中瀬8区(2003/05/01現在製作中)と4台を手がけている。「最初は他所の屋台の写真を撮ったりして見よう見まねで始めたが、とにかく奥が深い。やりがいのある仕事なので、昔の職人のいい仕事をよくみて研究したい。特に唐破風は試行錯誤の連続です」と意欲的に屋台製作に取り組んでいる。
旧福田町では2007年「南田」


伊藤 肇(いとうはじめ1933-)
2003/05/01撮影昭和8年に磐田郡豊岡村下野部の大工・伊藤賢太郎(いとうけんたろう)氏の長男として生まれる。賢太郎氏の親方である市川重太郎(いちかわじゅうたろう)氏は、掛塚で大工の修行をした人で、坂田歌吉氏や平野勘蔵氏らと兄弟弟子の関係にあるという。
学校卒業後はずっと父の下で大工の修行をしながら住宅や屋台の仕事をこなしてきたが、昭和57年に浜北市於呂中沢の屋台を製作中に父が急逝、後を継いで完成させた。それから3年後の浜北市小松東組の屋台を第一作として、以来多数の屋台を手がけている。
「屋台は破風が難しいねえ。5寸勾配でやるんだが、なかなかいい形ができない。親父よりもたくさん造ったかもしれないが、息子は跡を継がないからわしの代で終わり。こういう時代だから仕方ないよ」と寂しそうに語る。
浜北市根堅在住で、現在は地元の若手大工の育成にもあたっている。


秀志工務店(ひでしこうむてん)
→2016/05/08_磐田市合代島新屋台披露
→タウン情報はままつ平成5年3月25日号(同編集部さんの許可を得て掲載)
→砂子秀志さん制作のミニチュア御殿屋台(大得工務店HP)


小池工務店
棟梁・小池 清(こいけきよし)さん。1929年(昭和4年)小池佐太郎氏の次男として掛塚中町に生まれる。旧制中学卒業後、東京の親戚の材木問屋に就職。1年後に帰郷して父・佐太郎氏のもとで大工の修業を始める。26歳で独立し仕事の多い浜松市名塚町に小池建築を構えた。朝バスで掛塚から仕事場に通って来る父を夕方車で送るという生活を16年続けたという。
昭和46年、病気の父の後を受け継いで完成させたのが浜松市植松町の屋台。以後も遠州地方の祭り屋台を数多く手がけ、伝統工法による本物の屋台造りは他の模範となっている。
平成元年に法人化して(有)小池工務店となり、また平成4年には浜松市まつり会館展示屋台を完成させ、同年に浜松市優秀技能者に認定されている。右の写真は平成10年、福田「本町連」屋台修復記念式典でご挨拶されたときのもの。
旧福田町では「南島」「十五番町」
関連ページ
→2015/09/27_浜松市参野町新屋台
→2012/09/09_浜松市西区志都呂新屋台
→2012/03/04_浜松市佐鳴台新屋台
→2010/12/10_新社長・小池孝之氏に聞く
→2009/03/29_浜松市南区三島町新屋台
→浜松市公式YouTube・冴える伝統の技 浜松市御殿屋台


宮又木工訪問記2008/05/01木曜日


《掛川市》

飛鳥工務店
2003/02/17撮影棟梁・鈴木鉄雄(すずきてつお)さん。1955年(昭和30年)大東町生まれ。小学校一年生のときに大工だった父親を亡くし、15歳で中学を卒業すると浜松工業高校の定時制に通いながら兄の後を継いで大工の道に進んだ。21歳のときに見かけた地元の宮大工の仕事ぶりに関心を持ち、大東町の富口社寺建設に弟子入りして修行を積む。その後26歳で独立創業、平成7年に飛鳥工務店と命名し法人組織化して現在に至っている。
「屋台は後々まで評価されるので、納得してもらえるいい仕事をして信用を積み重ねていきたい。伝統への挑戦です」という。息子の祐氏を将来立派な棟梁にしたいとの願いから二俣の天竜林業高校を卒業後、かねてより尊敬している日本一の宮大工・故西岡常一棟梁の外弟子である建部清哲氏に弟子入りさせ、後継者育成にも期待をかけている。
福田では2代目「む組」
関連ページ
→2004/12/26_「む組」屋台仮組み披露
→2005/09/21_「む組」屋台完成披露
→2012/03/18_「新田組」屋台披露


《周智郡森町》

安間工務店
2003/01/18撮影棟梁・安間紀雄(あんまのりお)さん。1943年(昭和18年)に遠州森町に生まれる。中学を卒業して浜松の建築職業訓練所を第一期生として卒業。安間工務店は明治31年に祖父安間徳太郎氏が創業、昭和11年に父宇太郎氏が継承し、平成2年から紀雄氏が3代目として事業継承している。社寺建築・注文住宅を数多く手がけ、特に祭り屋台は宇太郎氏の代から数えて平成15年完成の掛川市倉真一区の屋台で50台目となる。
「まず神社の由来から調べ、伝統技法と材料にもこだわりながら各町内の特色を出すよう工夫していますよ」という現代的感覚を取り入れた屋台造りが評価され、平成13年11月に県優秀技能者として表彰されている。
福田では「天狗連」「港連」


家本工務店
2003/02/01撮影棟梁・家本豈佳(いえもとやすよし)さん。1941年(昭和16年)周智郡森町牛飼に生まれる。学校を卒業後袋井市三川の大工さんの下で5年間修行をして二十歳で上京、7年間の建築修行の後帰郷して工務店を構えるようになった。注文住宅から社寺まで幅広くこなしており、祭り屋台は昭和51年に地元牛飼の屋台を手がけたのがはじまりで、現在まで10台を製作している。旧福田町内では祭り屋台のほかに平成6年(1994)長池の大頭竜神社、平成9年(1997)五十子の藻山神社建築も手がけている。
旧福田町では旧「新田組」「大原」


寺田建築
→2014/06/01_磐田市大泉町新屋台披露


平野建築工業
2003/02/01撮影棟梁・平野金四郎(ひらのきんしろう)さん。1931年(昭和6年)遠州森町城下に生まれる。終戦後の昭和21年に大工の修行のため、愛知県幡豆郡一色町の親方の下に弟子入りし、10年間修行を積む。帰郷した後も東京へ出て神田の神輿大工さんのもとで1年間宮大工の修行をした。
祭り屋台は、昭和34年の伊勢湾台風で破損した掛川市下垂木の屋台修復依頼されたのがきっかけで、その後昭和45年完成の袋井市掛之上(かけのうえ)の屋台を第一作として、現在までに10台製作している。この内4輪の唐破風造り屋台は福田の2台で、他は2輪屋台である。
「屋台はその町独自の文化財なので、同じものにならないよう気を配って造りますよ」という。現在は息子の成一氏が代表取締役として活躍中である。
旧福田町では「旧石田組」「ほ組」


山本建築
2003/01/21撮影棟梁・山本和夫(やまもとかずお)さん。1943年(昭和18年)に遠州森町に生まれる。中学を卒業して浜松の建築職業訓練所を第一期生として卒業後、父庄平氏の仕事を手伝うようになった。同じ森町の安間氏とは同級生である。祭り屋台は昭和62年完成の地元栄町・藤雲社が最初で、以来遠州地方を中心に高欄式2輪屋台や唐破風造りの4輪屋台を精力的に製作。また3年に一度の大祭で有名な藤枝市の祭礼屋台も3台手がけている。「屋台は2輪でも4輪でも、各町に合っていて安全で曳きやすく造ることを心がけています」という。
平成15年現在は通算33台目となる榛原町静波の屋台を製作中。これは柱間口6尺の唐破風造りの屋台で、正面に舞台がせり出す独自の構造をしており、あらゆる努力と工夫で施主の要求に応える屋台造りをしている。
旧福田町では蛭池「北連」、豊浜「小島方」


車鍛冶:辻村勝三さん
タウン情報はままつ平成3年11月25日号(同編集部さんの許可を得て掲載)

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