遠州福田六社神社祭典
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2002/04/28日曜日_磐田市鳥之瀬/株式会社サン住宅さん倉庫に保管されている、今年竣工したばかりの屋台を見学させていただきました。じつは先日彫刻師の近藤直登さんから「新しい屋台ができましたよ」と下の2枚の写真を添えたお手紙をいただきました。これがきっかけで今回の見学となりました。


名称:恵比寿屋台~正面鬼板懸魚の図柄から
企画:牧野製材所(有)~磐田市大原
工匠:福井久雄~磐田市中泉
彫刻:近藤直登~豊橋市下地町
竣工年:平成14年(2002)


《追記_2023/10/12 》
恵比寿屋台の竣工年は近藤直登さんからのお手紙の消印と、本日あらためて確認させていただいた磐田市中泉「住まいるプランニングさん(牧野さんご実家)」のお話から平成14年(2002)です。

後に磐田市金洗自治会さんが平成15年(2003)に購入されました。
→2016年天幕新調披露


《 追記_2007/06/27 》
この屋台彫刻を手掛けられた、愛知県豊橋市のこんどう木彫店/近藤直人さんに経緯を伺うことができましたので、ご紹介させていただきます。

「牧野さんのことは、思い出すたびに心が洗われるような気がいたします。私と牧野さんのお付き合いは大変古く、28年前、私が独立してまもなくからです。当初、磐田方面で屋台を作ろうと言う機運が盛り上がり、牧野さんは材木屋としてその中心にみえました。そこへ私が顔を出したものですからすぐに話がまとまり、最初は磐田市御殿の屋台だったと思います。これは今思えば、私が欄間屋の感覚で絵を描いてしまい恥ずかしいようなものですが、兎に角一所懸命作って町内中大変喜んでもらいました。
(なにしろそれまでは、本当にリヤカーに飾りつけしていたのです)
その後10年ぐらい1年1台ぐらいのペースで作ったと思いますが、私が住吉と泉の屋台に掛りっきりになって、何となく疎遠になっていました。で、また10年ぐらいたったとき突然お手紙を頂き、すぐに牧野さんのお宅に伺いました。
「最高の檜が1台分ある。福井さんも新しい工夫をしたいと言ってる。途中、中国や鬼童にも頼んだが、やっぱり近藤さんにお願いしたい」
と言ってくださいました。此の時点で売り先について、「2、3候補は有るが、兎に角始めよう」と言うことだったので、牧野さんはご自身の寿命が永くないとご承知だったのかも分かりません。私は2寸でいい、と仰った鬼板や、柱の脇の竜を3寸にしてお二人の意気込みに応えるべく仕事をしました。ところが例によって私のほうが遅れてしまい、春祭り前の予定が2ヶ月ぐらい伸びてしまいました。祭りの頃、私はお詫びの手紙を書きました。牧野さんは「職人を急がせるようなことはしたくない。いつまでも待つから…」と言ってくださいましたが、私も必死で彫りました。最後の納品はその恵比寿さんと鯛と龍でしたが、屋台の顔ができて牧野さんも
「思った以上だ!」と喜んでくださいました。
「名前を付けたいが、近藤さん何がいい?」
と聞かれたので「恵比寿屋台」と決まりました。牧野さんが急逝されたのは、それから1ヶ月も経たないうちだと思います。後で聞けば完成までの間何度か入院なさったそうで、本当に私の仕上がりを待って亡くなられました。牧野さんから頂いた手紙は、いまでも大切にしております。それからこの屋台は、棟梁福井さんの大工人生の集大成であるということです。福井さんはもちろんお元気で、ぼつぼつ仕事もなさってますが
「もう屋台は請けないよ」って仰っています。
「シンちゃん(牧野さんのこと)が居なくっちゃ、つまんねえや」
こうして、牧野さんのことを書く機会を与えていただき感謝しております。
なおと拝


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