遠州福田六社神社祭典
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《福田(ふくで)という地名の由来》

南北朝の頃より見える地名。太田川下流右岸に位置し、南は遠州灘に面する。地名の福田は吹切出(ふききりいで)の転化したもの。諸井川(現太田川)の水が直接海に入らず、南西に曲がり流れてついに吹き切れて海に入ったところをいう意。(校正郷土雑記)
参考:角川地名大辞典22静岡県

※現在の太田川は慶長9年(1604)に旧太田川と原野谷川を合わせた人工の川である。江戸時代の中頃までは、農民が飛び越えて西側の田んぼに通っていたという。
参考:1991福田町勢要覧P6
→昔の太田川をみる旅

現在の太田川を豊浜橋から北を望む


《福田と福田町》

明治22年施行の町村制により、当時の横須賀藩領であった福田村(図の桃色部分)は西隣の中島村(掛川藩領)他と合併、福田の「福」と中島の「島」を一文字ずつとって福島村となりました。そして大正15年に福島村は町制を施行して福田町に改称。その後昭和30年~昭和32年にかけて周辺村々が合併し、平成17年3月までの福田町となりました。
参考:福田町史資料編民俗

福田村…江戸期~明治22年の村名。山名郡のうち。幕府領、のち横須賀藩領。
福田…明治22年~現在の大字名。はじめ福島村、大正15年からは福田町の大字。
参考:角川地名大辞典22静岡県

※町村制(ちょうそん‐せい)
地方公共団体としての町村の構成・組織・権限・監督などを定めた法律。1911年(明治44)に制定(その前身は1888年制定)、47年地方自治法に吸収統合。(広辞苑第六版)

《福田町の変遷図》
福田町の変遷(手書き図)
※労作手書き図ですので多少の誤差はご海容ください


《福田とはどこを指すのか?》

大正15年に古くから名の通る「福田ふくで」を町名にしたことで福田=福田町と混同されがちですが、福田町は合併した村々の総称であり大字福田は図の桃色部分のみです。周辺地区の方は、例えば「ウチは福田(町)の南島だよ」と町を省いて言われる場合が多いので、大字福田と混同されてしまうわけです。(これは話し言葉としてはごく自然で仕方のないことだと思います)
平成17年(2005)4月の磐田市合併から
旧磐田市→磐田地区
旧豊岡村→豊岡地区
旧豊田町→豊田地区
旧竜洋町→竜洋地区
旧福田町→福田地区
として便宜上各支所(旧市役所,役場)の管轄で示される場合もあります。

従いまして、当HPは福田/六社神社の祭りを紹介していますので混同回避のため、福田とは大字福田(437-1203)を指すことをあらためて確認させていただきます。福田以外は周辺地区もしくは旧福田町○○と表記いたします。

→旧福田町の住所表示(磐田市HP)

→Googleマップ磐田市福田

→磐田市鎌田神明宮HP


《余談》

福田町庁舎(2005/03/31撮影)

町章(道路標識)…昭和43年(1968)制定~「フ」と波頭

→旧福田町のHP(国立国会図書館による保存ページ)


《中島地区の新しい自治会について》

昭和…昭和時代初期には福田寄りに福田出身者による10軒ほどの部落があり、本田・新田の両部落との付き合いを余儀なくされ肩身が狭かったという。次第に軒数が増え戦時体制下~戦後しばらくは十五番組と呼ばれていたが、「広報ふくで」昭和27年12/1号には「昭和」自治会の名前が確認できるので、遅くとも同年には「昭和」として成立していたと思われる。名前の由来は昭和時代に入りできた部落であることに由来する。

石田…戦前は数えるほどしかなかった軒数が昭和25年の電気開通を機に増え始めた。それまではランプの生活だったという。戦火を避け東京から疎開してきた軍需工場・石田バルブ工場の名前が後に自治会名として残り、戦後の工場跡地に最初の公民館が建てられた。現在は福田と中島が約半々である。

十五番組…昭和35年に石田の一部が分離してできた自治会。「昭和」が採用しなかったことにより空いていた「十五」を自治会名とした。

※番組制度と15~18番組については寺田勝彦さん著「別冊第十七集 福田の郷土誌」P27ご参照ください

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