遠州福田六社神社祭典
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【 三社祭礼囃子の由来 】 三社祭礼囃子の曲目は大間、屋台下、昇殿、鎌倉、四丁目、馬鹿囃子の六曲に分かれています。 手古舞踊りにはおかめと、ひょっとこがあって、おかめの踊りは昇殿・鎌倉・屋台下の曲に限り、女児によって踊られ、ひょっとこはそれ以外の曲目に行われる男の踊りとなっています。 大笛の名人として知られる人では、江戸角力の力士であった中野川荘八、明治に入っては石津に戸塚金作があり、太鼓では西新町に佐藤米吉、太田善吉郎などの故人の名が残っています。 【 三社祭礼囃子の曲目 】 役太鼓(儀礼太鼓) ・昇殿しょうでん~春富十一正伝という人の創始といわれる。承天楽の雅楽の影響もあり、正伝、昇天、聖天等の文字も用いる。「昇殿の曲」「鎌倉の曲」「四丁目の曲」は総称して「役太鼓」と呼び「儀礼太鼓」である。旧幕の頃は神前及び城主の前のみで行われていたのが、明治初年廃城以後、神前と横須賀地内十三カ町総代(祭典会所)前のみに改められ、行われている。昇殿の曲には「ひょっとこ」面で男児が両手に日の丸扇子を持って踊る。 ・鎌倉かまくら~本源は鎌倉八幡の神楽の拍子に里神楽における風俗をあしらった曲。昇殿と供に祝儀囃子として用いる。「おかめ」面で女児が両手に日の丸扇子を持って踊る。 ・四丁目しちょうめ~仕丁舞の語より曲名が起こる。「ひょっとこ」面で男児が両手に日の丸扇子を持って踊る。 道中囃子 ・大間おおま~枹(ばち)の間合いを悠揚に打つので、この曲名が起こる。最も緩やかな調子の曲。祢里が道中を練り歩くときに行われ、この曲に合わせて手古舞と称する素朴で古風な踊りを「ひょっとこ」面で、男児が両手に日の丸扇子を持って踊る。 ・屋台下やたした~祢里の初期のものは屋台風のものであったことが文献に見え、この曲の起こりは楽人が屋台の下で囃したことに始まる。調子はやや早めの曲。祢里が道中をやや急ぐときに行い、手古舞は「ひょっとこ」面を男児が両手に日の丸扇子を持って踊るか、又は「おかめ」の面で女児が扇と手拭いを持って踊る。 ・馬鹿囃子ばかばやし~若囃子、若衆囃子、若者囃子、和歌囃子等より転訛した曲か。紀州和歌浦の漁夫が大漁のとき、舟板を叩いたことに始まるという。最も急調な曲。神社に祢里をねり込むとき、又は祢里と祢里との喧嘩のとき、及び千秋楽に行われたが、現在は千秋楽の囃子として行われている。この曲には、青少年が御幣や撞木を持って「般若」面で踊る。これらの踊りは全て豊年と平和を祈る踊りである。 【 囃子詞 】 【 使用する楽器の種類・数量 】 【 芸能を行う人の構成 】 【 服装・持ち物等の名称・数量・現状 】 大須賀町教育委員会作成パンフレットをもとに遠州横須賀三社祭禮囃子保存會さんの許可をいただき掲載させていただきました。写真はHP管理人撮影です。(2002/12/16) 《捕捉1》
《捕捉2》 《捕捉3》 特一本調子の笛は主に遠州地方で使われており、大須賀町、大東町、浜岡町、磐田市、福田町、浅羽町、豊田町、春野町、森町、袋井市、掛川市などの祭礼囃子に用いられます。また「特一本調子」という言い方は正式ではありません。標準の一本調子よりも2寸(約6cm)も長いことから一本調子の更に上の特別版として呼ばれる俗称です。 |
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