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天神町(てんじんまち)
建造:昭和33年(1958)
棟梁:高塚房太郎
彫刻師:浦部一郎

《参考資料》



菅原道真公と字を学ぶ童

破風の巻龍
(唐破風と龍の一木造り~浜松に4台)


木鼻~獅子・貘

張道陵(組内口伝)

加藤清正 鍾馗

高欄の巻龍

右側面~七福神


左側面~端午の節句


唐獅子に牡丹


きたのてんじん‐えんぎ【北野天神縁起】
絵巻。菅原道真の伝記や北野天満宮の由来・霊験を描いたもの。祖本は鎌倉時代の成立。
きたの‐てんまんぐう【北野天満宮】
京都市上京区馬喰町にある元官幣中社。主祭神は菅原道真。10世紀中頃の創建。例祭8月4日(11世紀半ばまでは5日)。八棟造やつむねづくりの現社殿は、慶長年中、豊臣秀頼の造営で、最古の権現造。二十二社の一つ。北野天神。北野神社。

【北野天神縁起】
王城鎮守の神々おほくましませど、霊験まことにあらたにて、あけのたまかきに再拝せぬ人なかりけり。たゝけばかならずこたへ、あふげばかならずのぞむ。秋月の水にうかぶにことならず。暁の鐘の霜に和するにゝたるかな。あはれめでたき北野宮かな。一人たなごゝろをあはせ、万民かうべをかたぶく。一条院の御宇寛弘元年甲辰十月廿一日辛丑の日、はじめて行幸なりしより、建保のいまにいたるまで、聖主八十二代、つもる月日は二百余歳までになりにけり。そのあいだいづれの人か、天満大自在天神をあをぎたてまつらざる。其むかしをたづぬれば、文道の大祖、風月の本主なり。あるひは天下に塩梅(えんばい)として、帝図を輔導し、或は天上に日月として、国土を照らし給へり。あはれ目出(めでた)かりける権者(ごんじや)の化現かな。
菅原院と申は、菅相公是善の家なり。相公、平生の当初(そのかみ)、かの家の南庭に五六歳ばかりなるおさなき小児のあそびありき給けるを、相公見給ふに、容顔体(たいぼう)たゞ人にあらずとおもひつゝ、「君はいづれの家の子男ぞ。何によりてか来り遊び給ふ」と。小ちご答へ給ふ様(よう)、「させるさだめたる居所もなく、又父もなく母もなし。相公を父とせんとぞ思ひ侍る」と仰らるれば、相公大に悦て、かきいだきかいなでゝ、漸(ようよう)研精(けんせい)せしめ給ければ、天才日(ひに)あらた也。これを菅贈大相国とは申めりと、日記には侍なる。



ほう‐おう【鳳凰】
古来中国で、麒麟きりん・亀・竜と共に四瑞として尊ばれた想像上の瑞鳥。形は前は麒麟、後は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、
頷あごは燕、嘴は鶏に似、五色絢爛けんらん、声は五音にあたり、梧桐に宿り、竹実を食い、醴泉れいせんを飲むといい、聖徳の天子の兆として現れると伝え、雄を鳳、雌を凰という。鳳鳥。

→まんが日本昔話データベース・十二支












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