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西上池川(にしかみいけがわ)
建造:昭和38年(1963)
棟梁:三嶽一郎
彫刻師:中山亮一

《参考資料》


はなさか‐じじい【花咲爺】
昔話の一つ。枯木に花を咲かせたという翁のお伽噺。愛犬報恩の物語に、欲の深い老人の物真似失敗談を加えたもの。室町末期か江戸初期頃に成る。広辞苑第六版より引用




木鼻~獅子・貘

あまの‐いわやと【天の岩屋戸】
天の岩屋の戸。日本神話で天照大神あまてらすおおみかみが素戔嗚尊すさのおのみことの暴状を怒り天の岩屋に籠もったため、天地が常闇とこやみとなった。群神が相談して種々の物を飾り、天児屋根命あまのこやねのみことが祝詞を奏し天鈿女命あまのうずめのみことが舞ったところ、大神が出てきて、世が再び明るくなった。北半球で冬至に太陽の力が弱まり復活する型の神話。古事記[上]「是に天照大御神見畏みて、―を開きてさしこもり坐ましき」広辞苑第六版より引用

あまのたぢからお‐の‐みこと【天手力男命】
天岩屋戸あまのいわやとを開いて天照大神あまてらすおおみかみを出したという大力の神。天孫の降臨に従う。
あまのうずめ‐の‐みこと【天鈿女命・天宇受売命】
日本神話で、天岩屋戸あまのいわやとの前で踊って天照大神あまてらすおおみかみを慰め、また、天孫降臨に随従して天の八衢やちまたにいた猿田彦神を和らげて道案内させたという女神。鈿女命。猿女君さるめのきみの祖とする。広辞苑第六版より引用

高欄の巻龍

右側面



左側面


くまそ【熊襲】
記紀伝説に見える九州南部の地名、またそこに居住した種族。肥後の球磨くまと大隅の贈於そおか。日本武尊やまとたけるのみことの征討伝説で著名。景行紀「―反そむきて朝貢みつきたてまつらず」
やまとたける‐の‐みこと【日本武尊・倭建命】
古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子で、本名は小碓命おうすのみこと。別名、日本童男やまとおぐな。天皇の命を奉じて熊襲くまそを討ち、のち東国を鎮定。往途、駿河で草薙剣くさなぎのつるぎによって野火の難を払い、走水はしりみずの海では妃弟橘媛おとたちばなひめの犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を討とうとして病を得、伊勢の能褒野のぼので没したという。
広辞苑第六版より引用



さくらい【桜井】
大阪府の北東端、三島郡島本町の地名。西国街道に沿って駅址がある。楠木正成・正行まさつら父子訣別の史跡。
くすのき‐まさしげ【楠木正成】
南北朝時代の武将。河内の豪族。1331年(元弘1)後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、千早城にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で河内の国司と守護を兼ね、和泉の守護ともなった。のち九州から東上した足利尊氏の軍と戦い湊川に敗死。大楠公だいなんこう。(1294~1336)
いなむら‐が‐さき【稲村ヶ崎】
神奈川県鎌倉市の南部、七里ヶ浜と由比ヶ浜との間の岬。新田義貞が名剣を投じ、干潟に乗じて鎌倉に攻め入った所。
にった‐よしさだ【新田義貞】
南北朝時代の武将。1333年(元弘3)鎌倉に入って北条氏を滅ぼし、上野・越後・播磨の国司。36年足利尊氏を九州に追い落としたが、東上した尊氏を兵庫に防いで敗れる。恒良つねよし親王・尊良親王を奉じて越前金崎城に拠るが、陥落。再挙をはかったが藤島に戦死。(1301~1338)広辞苑第六版より引用

腰蟇股











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