遠州福田六社神社祭典 浜松まつりの屋台と彫刻
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志村流張さん訪問記
訪問・写真撮影・記事作成=mitsuya noriyuki

以前彫刻師のことを調べたときにお世話になった、福井県坂井郡三国町にお住まいの彫刻師・志村孝(しむらたかし)さんを訪ねたいと思っておりました。福田に作品こそありませんが戦後の遠州の屋台彫刻に深く関わってこられているからです。
でも三国といえば日本海に面したところ。ちょっと行ってくるというわけにはいきません。雪のことも考えれば冬以外の連休、気候のいいGWにと考えるのは至極当然の成り行きです。熟慮の末嫁さんに「機会があれば三国へ遊びにおいでと志村さんから言われているから、こんどの連休に是非行きたいんだけど」と言うと「社交辞令を真に受けてどうすんの」と冷たく言い放たれましたが、そこは家長(!)の権限で三国行きを決定。志村さんのご了解も得て2004年のGWに訪ねることになりました。


2004/05/01土曜日

午前10時19分出発。天気も良く絶好のドライブ日和。カーナビに入力すると距離321㎞、約4時間半もの道のりです。でもこれは順調にいけばの話。磐田ICから東名にのって愛知県の小牧の手前あたりまでは順調だったのですが、そこから一宮まで長い渋滞にはまってしまいます。到着予定時刻は午後3時前ですが、刻々と遅れていく。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンみたいに空を飛べる時代が来ればいいのにと思いました。

それでもVICSの道路情報どおりに、一宮を過ぎると嘘のように渋滞が解消し北陸道は快調。なんとか宿に着いたのは午後5時半。約7時間もかかったのです。くたくた。
この日は移動日なので早速温泉につかり、旅の疲れを癒しました。風呂上りのビール。これは最高。
料理旅館なので夕食は新鮮な海の幸。最後は蟹雑炊 (^。^)
(そういえばこの辺りの信号はほとんど縦型なんですね。豪雪対策でしょうか)


2004/05/02日曜日
早起きしてまず朝風呂。朝食を食べて身支度を整え、会計を済ませて宿を出発。いよいよ志村さんを訪ねます。といってもすぐ近くなので、車で3分ほど。作業場の外で奥様が出迎えてくださり、中でお話をうかがうことができました。

志村孝さんは父親の志村桑次郎(しむらくわじろう)さんから受け継いでこの道一筋に仕事をしてこられました。そこでまず桑次郎さんのお話から伺いました。

桑次郎さんは明治25年名古屋生まれ。志村家は名古屋の中区大須門前町の米屋で、末っ子であったことから好きな道に進もうと家を出て半田の彫刻師・新美常次郎(初代彫常ほりつね)に師事します。
もともと素質があって熱心だったこともあり、彫常の一番弟子として祭礼の山車や堂宮に腕を振るっていましたが、大正8年頃福井県三国町「性海寺しょうかいじ」の欄間彫刻のために出張します。ところが地場産業である三国仏壇彫刻の後継者不足などの背景もあり、「是非来てほしい」という地元の要請を受けて三国に定住するようになったそうです。

号の「流張りゅうちょう」は三国に住むようになってから付けたもので、尾張の流れを汲む彫師という意味がこめられています。堂宮から仏壇彫刻など幅広く仕事をこなし名人と謳われましたが、83歳の時、「浄応寺じょうおうじ」の欄間を彫っていて亡くなったということです。

上の写真で、左は大正時代に善光寺の工事にて。後列向かって一番右が桑次郎さん。右の写真は昭和11年の彫常還暦祝いのときのもので、正面に座っているのが師匠の新美常次郎さん。前列向かって一番右が桑次郎さん。前列の一番左が二番弟子の岩田新之助(冬根とね)さん、その隣が後の2代目彫常・新美茂登司さんです。


次は志村孝さんご本人のお話です。
大正9年福井県坂井郡三国町生まれ。物心ついた頃から道具に触れ、12歳頃から本格的に父桑次郎のもとで彫刻一筋に修行を積んできました。彫刻の道に進むのが当たり前のように感じていたといいます。当時は弟子が7、8人ほどいて仕事も多かったので、朝早くから夜は10時ごろまで精力的に仕事に打ち込んだそうです。
とくに戦後の浜松屋台復興期には彫栄堂(早瀬利三郎さん)の仕事を手伝うために父桑次郎さんと共に浜松に住み、昭和27年「相生町」屋台を手始めに多くの作品を手がけています。
浜松の屋台は造りが大きくて彫刻の数も多い上に、戦後の屋台復興期には年に2~3台の屋台が毎年造られました。とても一人で受けて彫っていたのでは間に合いません。そこで一門とか仲間の彫刻師で手分けして取り組むので、一台の屋台には複数の職人が関わっている場合がほとんどだということです。でも出来上がった屋台は「彫刻師〇〇作」のように、受けた人というか代表者の名前が出るわけです。

みせていただいたアルバムに彫り上がった破風の巻龍があります。これは唐破風と龍が一本の木から彫り出されている大変に手間のかかったやり方で、昭和34年完成の浜松市中澤町の屋台に付く志村さんの力作です。

志村さん親子が一台全てを手がけた屋台もあります。昭和38年完成の浜松市野口町の屋台です。下の4つの写真が同彫刻に関するもので、同年に西伊場の大工・奥田さんの作業場にて写されたものです。
左上の写真は破風の巻龍を孝さんが彫っているところで、これも唐破風と龍を一木から彫り出しています。下の2枚は高欄の唐子群像の彫刻を彫っているところで、左の写真が孝さん、右の写真は桑次郎さんと孝さんが一緒に仕事をしています。


また昭和53年頃静岡県の修善寺温泉で痛めた腰のために湯治中、遠州森町南町の大工・故寺田勝郎氏と知り合ったことが縁で屋台彫刻の仕事を受けるようになったため、森町をはじめ袋井市、掛川市などにも作品があり親しまれています。
よく表記される「志村孝士」はご自身の考案による見た目のバランスを考えてのことで、本名は「志村孝しむらたかし」です。号は父を受け継ぎ二代目流張としています。
「もう屋台の仕事はやっていませんが、縁があって遠州の屋台彫刻は親父の代から本当に沢山やらせてもらいました。彫刻には、こなしや輪郭が大事。そのためには絵も上手く描けないといい作品にならない。またどんな注文にも応えていかなくてはならないから、好き嫌いなど言ってはいられない。いくつになっても勉強ですよ」

志村 孝さん彫刻の屋台


お話をうかがった後、近くの三国神社を案内していただきました。境内にある八幡神社の彫刻を若い頃に手がけられたそうです。木鼻が風神・雷神の珍しい構図です。いろいろと貴重なお話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。


三国神社境内にて


志村さんから「天気もいいし、東尋坊を見ていくといいですよ」とのお言葉を受け、また嫁さんの「せっかくだから観光地にも行きたい。GWらしいことしたい」という意見も尊重して、有名な東尋坊をみることになりました。
(じゃあ志村さん訪問はGWらしくないっていうんだな)
三国神社から10分ほどで着きました。
(余談…カーナビのおかげで悩まず勝手知ったように走れます。ここをご覧になっている独身の方、将来家庭を持ったら先ず車にカーナビをつけることをお勧めします。家庭円満の必需品ですよ~経験者は語る)
ずらっと並んだ土産物屋さんの、焼きとうもろこしとかサザエのつぼ焼きなんかの匂いが、観光地に来たんだという雰囲気を盛り上げてくれます。天気もよくて、さすがに素晴らしい眺めでした。


気が済んだので土産を買って家路に着く。まずガソリンを入れて北陸道へ。大した渋滞もなく午後7時半に福田着。子供らは旅の疲れからか、風呂に入らずにすぐ寝てしまった。往復約700㎞。否応なく親の都合で付き合わせてしまったのだから無理もないか。とにかく無事でなによりでした。


《参考写真》

天竜市二俣町「本町」(1989)

浜松市「和地山町」(1996)

袋井市「大門」(2001)

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