遠州福田六社神社祭典 浜松まつりの屋台と彫刻
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志村流張さん訪問記 以前彫刻師のことを調べたときにお世話になった、福井県坂井郡三国町にお住まいの彫刻師・志村孝(しむらたかし)さんを訪ねたいと思っておりました。福田に作品こそありませんが戦後の遠州の屋台彫刻に深く関わってこられているからです。 2004/05/01土曜日
午前10時19分出発。天気も良く絶好のドライブ日和。カーナビに入力すると距離321㎞、約4時間半もの道のりです。でもこれは順調にいけばの話。磐田ICから東名にのって愛知県の小牧の手前あたりまでは順調だったのですが、そこから一宮まで長い渋滞にはまってしまいます。到着予定時刻は午後3時前ですが、刻々と遅れていく。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンみたいに空を飛べる時代が来ればいいのにと思いました。
それでもVICSの道路情報どおりに、一宮を過ぎると嘘のように渋滞が解消し北陸道は快調。なんとか宿に着いたのは午後5時半。約7時間もかかったのです。くたくた。 2004/05/02日曜日 志村孝さんは父親の志村桑次郎(しむらくわじろう)さんから受け継いでこの道一筋に仕事をしてこられました。そこでまず桑次郎さんのお話から伺いました。 桑次郎さんは明治25年名古屋生まれ。志村家は名古屋の中区大須門前町の米屋で、末っ子であったことから好きな道に進もうと家を出て半田の彫刻師・新美常次郎(初代彫常ほりつね)に師事します。 号の「流張りゅうちょう」は三国に住むようになってから付けたもので、尾張の流れを汲む彫師という意味がこめられています。堂宮から仏壇彫刻など幅広く仕事をこなし名人と謳われましたが、83歳の時、「浄応寺じょうおうじ」の欄間を彫っていて亡くなったということです。
上の写真で、左は大正時代に善光寺の工事にて。後列向かって一番右が桑次郎さん。右の写真は昭和11年の彫常還暦祝いのときのもので、正面に座っているのが師匠の新美常次郎さん。前列向かって一番右が桑次郎さん。前列の一番左が二番弟子の岩田新之助(冬根とね)さん、その隣が後の2代目彫常・新美茂登司さんです。 次は志村孝さんご本人のお話です。 みせていただいたアルバムに彫り上がった破風の巻龍があります。これは唐破風と龍が一本の木から彫り出されている大変に手間のかかったやり方で、昭和34年完成の浜松市中澤町の屋台に付く志村さんの力作です。
志村さん親子が一台全てを手がけた屋台もあります。昭和38年完成の浜松市野口町の屋台です。下の4つの写真が同彫刻に関するもので、同年に西伊場の大工・奥田さんの作業場にて写されたものです。 また昭和53年頃静岡県の修善寺温泉で痛めた腰のために湯治中、遠州森町南町の大工・故寺田勝郎氏と知り合ったことが縁で屋台彫刻の仕事を受けるようになったため、森町をはじめ袋井市、掛川市などにも作品があり親しまれています。 お話をうかがった後、近くの三国神社を案内していただきました。境内にある八幡神社の彫刻を若い頃に手がけられたそうです。木鼻が風神・雷神の珍しい構図です。いろいろと貴重なお話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。
志村さんから「天気もいいし、東尋坊を見ていくといいですよ」とのお言葉を受け、また嫁さんの「せっかくだから観光地にも行きたい。GWらしいことしたい」という意見も尊重して、有名な東尋坊をみることになりました。 気が済んだので土産を買って家路に着く。まずガソリンを入れて北陸道へ。大した渋滞もなく午後7時半に福田着。子供らは旅の疲れからか、風呂に入らずにすぐ寝てしまった。往復約700㎞。否応なく親の都合で付き合わせてしまったのだから無理もないか。とにかく無事でなによりでした。 天竜市二俣町「本町」(1989) 袋井市「大門」(2001) |
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