遠州福田六社神社祭典
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2001/02/02金曜日
三河安城の鈴木嘉一さん訪問
訪問・写真撮影・記事作成=mitsuya noriyuki

2003/04/10にお亡くなりになった三河安城の鈴木嘉一さんにお会いしたのは2001/02/02金曜日のことでした。祭り屋台の彫刻調査のためお話を聞きたいとの旨を電話で告げると快く引き受けてくださり、ご自宅を訪問させていただきました。
「秀雲しゅううん」の表札のかかった作業場は木っ端が散らばり、たくさんの道具に囲まれて嘉一さんは座っておりました。

いろいろと話してくださった中で、若い頃のエピソードとして
「自分がまだ駆け出しで仕事がなかった頃、静岡県の由比町地持院のご住職と縁があって知り合い、とてもかわいがってもらった。後に地持院の彫刻を任せてもらい、出来栄えを大変にほめていただいた。その後もいろいろと仕事を紹介してもらったおかげで一人前の彫刻師としてやってくることができた。いまのわしがあるのは、あのご住職のおかげだよ」といわれました。

お話の中で、鈴木嘉一さんがお作りになった彫刻師の系統図も拝見いたしました。三河は古くから仏壇で有名な土地柄で彫刻師が多く、「彫匠会ちょうしょうかい」という組合があります。
昭和56年にこの会の役員を務めた嘉一さんが、会の20周年を記念して作成された彫匠会系統図です。

彫刻の職人といっても大きく分けると二つあり、社寺などの建築装飾に携わる宮彫り師を「大彫師おおぼりし」、仏壇彫刻などを手がける職人を「小彫師こぼりし」と呼び分けているそうです。
この系統図に記載されているのは組合に入っている人に限られているので、実際にはもっと多くの人が彫刻に携わっておられたといいます。

中心的存在であった中山由太郎師は多くの門下生を輩出され、地場産業である三河仏壇に携わって活躍される方も多いことから仏壇彫系と混同されやすいのですが、れっきとした堂宮彫りの流れを汲む一門のようです。

「今となっては貴重な資料なので、彫刻などを調べておられる方々のお役に立てれば幸いです」と私個人の訪問で初対面であるにもかかわらず親切にご応対いただいた上に系統図もくださいました。ご厚意に感謝いたします。


2003/04/28_地持院(じじいん)見学

由比に嘉一さんの彫刻が本当にあるのか半信半疑でしたが、行ってみたら見事な彫刻で疲れも吹っ飛んでしまいました。嘉一さんが47歳頃の作品です。

↑全景 ↓蟇股の龍


↓龍の裏側

↓虹梁鼻の獅子


《彫匠会系統図1981》





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