遠州福田六社神社祭典 浜松まつりの屋台と彫刻
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自治会 十三番組
建造 昭和29年(1954)
小池佐太郎(藤原顕継)
彫刻
奥出多喜男(康運) 天竜市二俣
図柄解説:彫栄堂/早瀬宏さん
photo:mitsuya noriyuki



破風の巻龍

村上義光 錦の御旗奪還

獅子・貘

草薙剣

桃太郎一代記



牛若丸と弁慶

牛若丸と烏天狗

天幕 波濤霊亀之図

日本の祭礼の中で、鉾や山車を飾る幕によく用いられる意匠に四神文がある。源流を辿れば、四神すなわち東の青龍・西の白虎・南の朱雀・北の玄武で、朱雀は鳳凰、玄武は亀と蛇の合体の姿で表現された。この思想は中国漢代に起こるが、もと四方の星宿を動物に見たててつくられた想像上の動物である。また、四神を四霊ということがある。四霊について「礼記」礼運に麟・鳳・亀・龍の四種をいうとあるが、日本的表現のイメージとは厳密に一致しない。この四神思想は、思想史的にまた美術的にみて、その後の中国にとって重要な意義をもっているといえる。
日本に仏教などの思想が伝来してから、この四神文は鏡の浮彫や社寺彫刻に用いられるようになり、以後日本風の表現方法がとられるようになる。文様史の中で中国的草花は近世まで徐々に和風化し、松・桜・菊などの日本の自然風物にみられる植物にかわり、鳳凰もまた長尾鳥・鶴・鴛鴦・千鳥に変わっていく。架空から現実への移行が文様の中で生じるのである。
玄武は亀と蛇の交合している怪奇な特徴的姿であるためか、それ自体の姿では日本の文様として、殆ど表現されていない。単独の亀の姿の表現としては、平安時代に簡単な素文の亀形が和鏡の中にみられるが、鎌倉時代にはいると、次第に肉高の表現となり、背高の亀甲文も複雑になってくる。奈良朝以来わが国に伝来された蓬莱思想もまた和風化が進み、室町時代以後には、鶴・亀が接嘴する形式が生まれ、松・竹・岩と共に定型化に進展するに至った。同時に亀の形態も、吉祥慶寿・長寿瑞祥といった意味を表現するためか、和風の蓑亀となってくる。この波濤霊亀之図もこういった意味・内容を含むもので、荒々しい波濤の中を果敢に遊舞する亀を長寿瑞祥の象徴として表現したものであり、動く神仏の社としての山車を鎮護する役を果たすものと信じています。
川島織物 平成2年

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