遠州福田六社神社祭典 浜松まつりの屋台と彫刻
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自治会 十一番組
建造 昭和26年(1951)
小池佐太郎(藤原顕継)
彫刻
■奥出多喜男(康運) 天竜市二俣
■彫栄堂/早瀬利三郎(清雲) 浜松市
■浦部一郎(清風・松寿) 浜松市
図柄解説:早瀬宏さん,山田峨聖さん,松林洋さん,伊藤章晴さん,降籏清二さん
HP平安京探偵団管理人さん
photo:mitsuya noriyuki


義経鵯越の逆落とし(奥出康運)

源義経軍は一ノ谷合戦において、海岸付近に布陣した平家軍を背後の崖上から奇襲し、意表を突かれた平家軍は混乱し大敗する。鵯越(ひよどりごえ)の逆落としである。このとき家来の畠山重忠は「大事な馬に怪我をさせるわけにはいかない」と持前の怪力で愛馬三日月の前肢を背負って坂を下ったとされる。

源三位頼政の鵺退治(奥出康運)

平安時代末期の伝説。近衛天皇の御代、京都内裏の清涼殿に毎晩黒雲が立ち込め、奇妙な鳴き声が響き渡り、天皇を恐怖に陥れていた。この怪異を退治するため、弓の名手・源頼政が選ばれる。ある夜、頼政は家来の猪早太と共に内裏へ向かい、黒雲の中に現れた怪物を山鳥の尾で作った矢で射抜いた。射落とされた怪物は「鵺(ぬえ)」と呼ばれ、猿の頭、狸の胴、虎の手足、蛇の尾を持つという奇怪な姿をしていたと伝えられる。この功績により、頼政は天皇から名刀「獅子王」を賜ったという伝承も残っている。

木鼻 (早瀬利三郎)

鳳凰 (以下浦部一郎)

平経正

平経正(たいらのつねまさ)は平経盛の長男。幼少期を仁和寺の覚性法親王のもとで過ごし、その間に琵琶と和歌の才能を開花させた。そして琵琶の名器「青山せいざん」を授かる。源義仲が挙兵した際、経正も立ち上がり、琵琶湖の竹生島へ必勝祈願に向かった。そこで神主に頼まれて琵琶を奏でると、白龍が現れたという伝説が残っている。

藤原俊成と平忠度

藤原俊成(ふじわら‐の‐としなり)
平安末期の歌人。歌学を藤原基俊に学び、俊頼を尊敬、両者の粋をとり、清新温雅な、いわゆる幽玄体の歌を樹立した。御子左みこひだり家の基を築く。歌は新古今集以下勅撰集に四百余首載る。歌集 長秋詠藻,歌論書 古来風躰抄など、ほかに歌合の判詞が多い。(1114~1204)
平忠度(たいら‐の‐ただのり)
平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。歌人としても逸話を残し、謡曲などで著名。一谷の戦に敗死。(1144~1184) 平家都落ちの際、平忠度が和歌の師匠である藤原俊成宅へ寄り、もし勅撰和歌集が作られるのなら、自分の歌を一首入れてほしいと自らの和歌集を託す場面。まもなく忠度は一ノ谷の合戦で戦死するが、俊成は詠み人知らずとして次の歌を千載集に載せた。「故郷花といへる心をよみ侍りける さざ浪や志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」

常磐御前雪行

平治の乱に敗れて源義朝が敗死し、常磐御前は平清盛の追手から逃れるために厳冬降りしきる雪中を、7歳の今若(阿野禅師 全成),5歳の乙若(円成),生後間もない乳飲み子の牛若(義経)の3人の子供を連れて都落ちする。

平維茂の鬼女退治

能。観世信光作。平維茂が戸隠山へ紅葉狩りに訪れた際、更科姫(さらしなひめ)という姫が催す酒宴に出くわす。維茂は勧められるままに酒を飲むが、やがて更科姫は正体を現し、鬼女となって酔いつぶれた維茂に襲いかかる。しかし維茂は持っていた名刀・小烏丸の功徳により危機を逃れることができた。

平忠盛と油坊主

平忠盛(たいら‐の‐ただもり)
平安末期の武将。ある雨の夜、祇園の社頭で銀光を発して光る髪を持つ異形のものを捉えた所、境内の燈籠に油を注して廻る老僧で、銀色の光は雨よけの笠が燭火の映えた錯覚と分かったという故事。

鳳凰

牛若丸と烏天狗

羽衣伝説/久米仙人 宝尽くし

久米仙人(くめのせんにん)は、欽明天皇の時代に葛城の里で生まれたとされる伝説上の人物である。竜門岳で修行を積み、神通飛行術を習得した。ある日、久米川で洗濯をしていた若い女性の白いふくらはぎに心を奪われたことで神通力を失い、空から墜落する。やがてその女性と結ばれ、仙人の道を離れて人間としての生を歩んだ。

波に亀(小池佐太郎作)


備考
屋台は掛塚中町の小池佐太郎棟梁監督のもと、脇棟梁として弟子の大工の土屋さん(十一番組)らが手がけた。町内の道幅に合わせた小振りな屋台ではあるが総欅造り。彫刻は屋台本体完成後徐々に付けていったため、3人の彫刻師による合作である。

2000/05/27小池工務店により解体修理

新道とは?
新町とは大正時代に開通した新道(しんみち)から。R150号沿いのバス停に「新道しんみち」がありますが、新道とはどこを指すのか? 十一番組のご年配の方に教えていただきました

↓の赤いところが新道だそうです

新道とは、現在のマンションあすらん西側クランクから本通りに至る十一番組地内の道路のことを指します。大正時代に畦道を2間の道路に拡張したことから新道と呼ばれ、組の呼び方が新町となりました。よって屋台名が「新町連」ということです。
↓マンションあすらん西側
奥に進むとクランク、右に進むと本通り

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