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とき

例祭日は毎年10/15を含む直前の日曜日を基準とし、土曜日は夕祭が行われます。
祭り屋台の曳きまわしは+金曜日(前夜祭)の概念が定着しています。

ところ
静岡県磐田市福田(ふくで)六社神社および各氏子町内
→福田と福田町

歴史
福田八番組で代々禰宜(ねぎ)を務める落合家の祖先が勧請した海神を祀る私有神社(当初は落合神社とされ後に六社神社)が、明治12年に村社となりました。
(写真右=禰宜の落合芳文さん)

当時の福田村は中川を境に東組西組に分かれており、西組が明治16年頃、東組も少し遅れて掛塚から屋台を導入し、この六社神社の秋祭りとして本格的に屋台が曳かれるようになったといいます。

「繪入東海新聞」明治20年10月13日付の祭り準備を伝える記事が残っており、遅くともこの年には東西屋台が揃っていたことがわかります。

【余談】
西屋台は当初から漆塗り、東屋台は白木だったそうで、西屋台を当時の人力霊柩車に準えて「黒塗り葬式屋台」、東屋台を「白木だ白木だ棺桶だ」などと互いに揶揄していたというお話も残されています。
(5番組・杉浦弘さんによると明治18年頃生れの祖母が話してくれたそうです)

これら2台の屋台の所有は福田区(福田村の後身)でしたが、昭和25年の区制度廃止に伴い入札で払い下げられ、東屋台は12番組「本町連」・西屋台は10の3番組「福助連」となりました。翌昭和26年以降は各組も本屋台を持つようになり、次第に台数が増えて賑やかで勇壮なる屋台祭りとして発展してきました。
福田の最も大きな年中行事であり、漁業の安全祈願と五穀豊穣に感謝する秋祭りとして親しまれています。
→六社神社 →「東屋台と西屋台〜寺田勝彦(かつよし)さん著」

「繪入東海新聞」 明治20年10月13日付
明治20年10月13日付繪入東海新聞・寺田勝彦(かつよし)さんご提供
資料ご提供=12番組・寺田勝彦(かつよし)さん

祭り屋台
山車(だし)・曳山(ひきやま)など各地で様々な呼称がありますが、当地では屋台(やたい)と呼びます。屋台店と区別するために祭り屋台とも呼ばれます。
天竜川河口の掛塚を発祥地としその流域に多く見られる一層の大唐破風造りで固定内4輪の内車形式です。
特徴は屋台の顔ともいえる優雅な曲線美の唐破風にあり、工匠の腕の見せ所でもあります。また向拝式(ごはいしき)と呼ばれる二重屋根のものも2台あります。組み解し可能な構造で適切なメンテナンスにより永く存続可能。
年代では明治年間2台・昭和戦後10台・平成3台の計15台となっています。

《彫刻》
主に欅材が用いられ、屋根の鬼板・懸魚(おにいた・げぎょ)をメインに随所に附帯彫刻が施されます。神話や故事などさまざまな題材が用いられ、職人の技・個性がいかんなく発揮された精緻な彫刻は見る者を魅了します。

《天幕》
長らく地場産品の別珍が多く用いられてきましたが、近年は豪華な刺繍を施した本格的な幕も登場し屋台に華を添えています。「む組」天幕はNHKのTV番組でも紹介され話題となりました。

《照明》
提灯・豆電球+バッテリーが基本で発電機は用いません。近年LED化が進んでいます。

屋台は祭礼の移動神座という古来の認識を踏まえ、今では自治会のシンボルであり親睦の要として大切に継承されています。
→祭り屋台リスト
六社神社氏子屋台〜15台

い組

ひ組
(向拝式)

宮組

港連

む組

宮本八番組

天狗連

奴連
(向拝式)

おかめ連

福助連
(旧西屋台)

新町連

本町連
(旧東屋台)

十三番町

十四番町

だるま連
浦安の舞奉納〜当番組/年
祭典連合会役員〜3屋台組/年
→祭りポスター

祭り囃子
遠州横須賀の「屋台下やたした」が主流(一部森調もあります)。また「大間おおま」で緩急をつけたり、場面により「馬鹿囃子ばかばやし」で盛り上げる組もあります。
演奏には大太鼓・小太鼓(複数)・笛(2名)・摺り鉦・拍子木を用います。特に笛は習得に鍛錬を要す囃子の花形で、組内に笛吹がいなければ横須賀などに委託しています。
本家の横須賀と異なるのは大太鼓で、直径1尺8寸ほどのものを用いて低く迫力のある音を響かせます。これは明治の屋台黎明期に大太鼓をお寺から借用していたことに由来するようです。
このお囃子に合わせて「そらやれ」の掛け声とともに屋台が勇壮に曳きまわされます。
→福田囃子同好会 →いちわ会 →三社祭礼囃子

日程とみどころ2016
浦安の舞当番組=6の3番組「港連」
土曜日 16:45 夕祭参加屋台18台は六社神社所定位置へ整列
17:00 夕祭(浦安の舞奉納)〜18:00終了後、各屋台移動
18:30 中川通り18台〜19:30解散
日曜日 13:15 例祭参加屋台18台は六社神社所定位置へ整列
13:30 例祭(浦安の舞奉納)〜14:30頃終了後屋台解散
15:00頃 六社神社にて餅投げ
18:00 本通り東西に屋台が並んで待機〜昔ながらの屋台隊列
18:15 中川通りへ本通り東西から屋台進入開始
20:00 解散式〜20:20撤退開始〜20:45最終撤退
中川通り・本通り・六社神社周辺道路規制=土日17:00〜21:00

アクセス
専用Pがないため遠州鉄道バスをご利用ください

JR浜松駅バスターミナル8のりば
〜豊浜・横須賀行き
前嶋(まえしま)バス停下車
→六社神社まで徒歩5分ほど
JR磐田駅南口
〜福田・豊浜行き

前嶋(まえしま)バス停JR浜松駅・JR磐田駅方面

統一行動とは… 
中川通りにおいて、福田内外の屋台23台が集まり隊列を組んで練りを行うことです。
もともと古くから福田の祭りの土日夜に本通りで行われていた屋台隊列の練り曳きまわしが、昭和62年の中川通り開通を機にここでも行われるようになりました。
昭和52年にはこの名称が使われており、昭和55年までに中島地区5台、平成に入り鎌田神明地区3台が加わっています。
平成6年(1994)を除き土日両日行われてきましたが、2008年以後は日曜日のみとなっています。祭り最終日の屋台の練りを楽しむクライマックス・イベントです。
→広報ふくで(昭和52年) →補足・FAQ関連ページ

統一行動に参加する周辺地区の屋台
中島地区・神明宮祭典〜5台

昭和組

石田組

十五番町

ほ組

新田組
MEMO
本田に仮屋崎(かりやざき)の地名が伝わる歴史ある中島地区。平成17年(2005)磐田市合併により、旧竜洋町中島との区別で福田中島となる。
祭り屋台は昭和28年「昭和組」初代屋台が最初となる。このため早い時期から福田屋台に随伴していた。また昭和58年に例外的に1度のみ祭典連合会長を務めている。
当時の本通りを中心とする統一行動への参加は「昭和組」に続き
昭和52年以前から「石田組」(手造り屋台時代を含む)
昭和52年「十五番町」
昭和54年「ほ組」
昭和55年「新田組」
の順。新田の手造り屋台に触発された本田が先に本屋台を完成させ、その年から本通りの隊列に参加、翌年新田も本屋台を完成・参加を始めた。

※本田(外宮)・新田(内宮)の両神社で神明宮としており、福田に合わせて祭りを行う。
※「昭和」「石田」「十五番組」の3組は戦前〜戦後にできた比較的新しい自治会で、六社神社奉納式典隊列にも参加している。
「昭和」は上記のように初代屋台から、「石田」は氏子が約半々、また「十五番組」は希望により神社側の許可を得て隊列に参加している。よって集合屋台は18台となる。
鎌田神明地区 摂社例大祭〜3台

南島
(天神社)

北連〜蛭池
(貴布祢神社)

東小島
(六所神社)
MEMO
古くから鎌田御厨の荘域に含まれ、明治22年(1888)御厨村に属す。明治27年(1893)に御厨村と南御厨村とに分村してからは後者に属していたが、昭和30年(1955)に3部落の希望により旧福田町に編入合併した。
鎌田神明宮との氏子関係は保たれており、昭和51年(1976)の鎌田神明宮・大遷宮(60年毎)には「南島」が初代屋台で参加した。

毎年10月第1週〜第3週にかけて行われる鎌田神明宮氏子部落の摂社例大祭で、福田の祭りに合わせることにより統一行動へ参加。
翌週の鎌田神明宮例大祭には各自治会の総代・自治会長が参列されている。

→関連ページ・鎌田神明地区について

→関連ページ・2016/10/16日曜日_式年遷宮報告祭に蛭池・南島が参加

→外部リンク・鎌田神明宮公式HP〜「御厨十七郷十九社」

→外部リンク・鎌田神明宮公式facebook

「こじま」「南島」「北連」の順に本屋台を所有。
統一行動への参加は平成02年「南島」、平成07年「北連」、平成10年「こじま」の順。

※摂社(せっしゃ)=本社に付属し本社に縁故の深い神をまつった神社の称。本社と末社との間に位し、本社の境内にあるものと境外にあるものとがある。
広辞苑第六版より引用
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