□よくある質問 ホーム
いままでメールで寄せられたり直接聞かれた質問などをお答えできる範囲で簡単にまとめてきました。内容が古く現状にそぐわなくなったものは割愛しています。
2017/04/22

Q:鎌田神明宮の式年遷宮に蛭池と南島の屋台が参加するのは何故?

A:氏子だから。
 →お手数ですがこちらのページをご覧ください

「福田の衆はあわっくらいが多いもんだで鎌田神明様の式年遷宮に屋台で行くだら」
という方も見受けられますが、福田は氏子ではないので参加しません。

Q:おススメの彫刻師はだれですか?

A:特にありません。いろいろな職人さんを当HPで紹介させていただいていますが、あくまで中立。所詮他人の職業。屋台新築をご検討であれば工務店さんとよくご相談の上、予算・作風・お人柄などご自分で行って見て確かめられるのが一番だと思います。

Q:福田と周辺地区で23台とかわかりにくい

A:ですよね。では磐田市中泉を例にとって説明してみます。

2015年から磐田市中泉/府八幡宮の例大祭に、二之宮/鹿苑神社(み組)が参加されることになりました。要は中泉からみたら二之宮は隣の部落で神社も祭りも本来は別。でも同学区のよしみで「賑やかな方へ参加させてほしい」というわけです。
(静岡新聞ご参照↓)

この関係を置き換えてみましょう。
中泉/府八幡宮⇒福田/六社神社
二之宮(み組)⇒中島(昭和・石田・十五・本田・新田)と鎌田神明地区(南島・蛭池・東小島)

ということです。考え方は同じですね。
よって福田15台+中島5台+鎌田神明地区3台=23台になります。
(祭典連合会へ加盟することで統一行動へ参加)


Q:福田では屋台を何と呼びますか?

A:「屋台やたい」と呼んでいます。
よく一部の地域の方から「四輪屋台」或いは「四輪」という言い方をされることがありますが、これは否定はしませんがとても違和感を感じてしまいます。以下私見。
(^^ゞ

遠州では横須賀の祢里(ねり・一本柱万度型〜江戸型二輪山車)や、森の祭りに代表される屋根のない二輪屋台が袋井・掛川近辺に多く見られ、全国的にも珍しい形として知られています。そして主に二輪屋台文化圏の方々が四輪屋台という呼称を使われます。

全国的には日本三大曳山祭りとされる京都・高山・秩父をはじめ半田(山車だし)や岸和田(地車だんじり)などでも「四輪」とは呼ばないようで、遠州では掛塚・浜松・二俣などでも同じです。遠州特有の二輪屋台の対語として四輪屋台という呼称が存在するわけです。

いろいろな祭りの形があるのは当然で自分の地元が正当かつ宇宙の中心なのは誰もが同じですが、この四輪屋台という車輪の数で表現する呼称は確かに事実ではあっても、全国的にも適切ではないように思えます。


Q:最近よく見かける、屋台の屋根の四隅にくくり付けられている提灯はなんのためですか?

A:
屋根上の提灯掛けの四隅に付いている弓張り提灯のことでしょうか?
写真右・宮組
これは平成7年(1995)に宮組でその年に屋根係だった私が始めたもので、安全確認のためのものです。特に夜は屋根の隅が見えにくいので、電柱等に屋台をぶつけないための目印として設置してあります。また雨天用シートがかけられていても屋根の隅が分かりやすいということで定着して現在に至っており、採用する組も増えているように見受けられます。
べつに丸ブラ提灯でもよかったのですが、たまたま余っていた提灯でやり始めてそのまま継続されており、宮本八番組も2005年立ち上げ当初から採用しています。
(これがついていると屋根係が手を抜けるというメリットもありますが…)


Q:たくさん写真を載せてください(^O^)/
  お祭りが大好きなのでたくさんの写真を見たいです^m^★


A:そのつもりです。コンデジ、ビデオのデジカメ画像、デジ一とTPOで撮り分けてあるので、できるだけ紹介予定です。「祭りアルバム」とトップページで順次更新していきますので、気長にお待ちください。


Q:祭りビデオで、日曜日夜に中川通りに屋台が入るところ、出るところを全屋台網羅してほしいです。(複数の方から)

A:ごもっともです。私個人がホームビデオで撮影しているものに関しましては、私自身が自町に参加している関係からどうしても手の届く範囲になります(今後も現状維持)。
また、業者・森の真庭電機さん制作DVDに関しては、また来年ご要望を伝えておきます。反映されるかどうかは微妙ですので、ご了承ください。
(編集無しの一発撮りのため、最初から時間配分を決めているとのことです)


Q:お囃子の「屋台下」はなんと読みますか?


A:私は子供の頃から「やたした」と教わってきましたが、念のため本場である横須賀の複数の知り合いに確認したところ、皆さんから「古くからやたしたと呼んでいますよ」と言われました。また以前いただいた「三社祭礼囃子」のパンフレットの説明にも「屋台下やたした」と振り仮名が付いています。 従って当HPの表現も「やたした」としています。
遠州横須賀河原町の田中興平さんご著書「遠州横須賀三熊野神社大祭 そこに江戸の祭り文化がある」P125に「屋台下」の語源が推論として紹介されています。読み方までは言及されてありませんがご参考までに。


Q:最近の彫刻は機械で彫るのですか?


A:これはまことしやかに言われていることですが、少なくとも福田の屋台彫刻で機械で彫ったものはありません。これは断言できます。
こう言われる方に「機械彫りの現場を直接見たことありますか?」とたずねると全員必ず「いや人から聞いた話だ」と言葉を濁し、まるで都市伝説のよう。なぜこのような架空の話が蔓延してしまうのか考えてみると

1.昔の彫刻に比べて仕上げが鑿のあとがないくらい綺麗で丸っこい感じを受ける
2.彫刻まで取り付けられた完成屋台が納品されてくる(工業製品みたい)
3.各分野でのオートメーション化により彫刻もそうなんだろうと推測
4.機械彫りの語感がもっともらしく聞こえ言いやすく説得力がある
5.彫刻師の現場を訪ねたことがない
などがあるのではないでしょうか。

→仏像の機械彫りYouTubeには驚かされます(外部リンク)


Q:福田のお囃子はどんなものがありますか?


A:よく耳にするのは「屋台下やたした」「大間おおま」でしょうか。これらは大須賀町横須賀の「三社祭礼囃子」からきています。古くは掛塚にも人を頼んで「掛塚ばやし」もやっていたようですが次第に淘汰され、福田の屋台の曳きまわしのリズムに合った「屋台下」が好まれ主流になってきたといわれます。
とはいうものの、やはり独自の調子をあしらった「福田ばやし」が耳によく馴染み、福田の屋台の練りに合っているように感じますね。組によって個性がありますので、聞き比べてみると面白いかもしれません。


Q:御神輿とかは出ないのですか?


A:ないです。六社神社祭典では「お渡り」というのはありません。祭典二日間を通してご神体が神社から出るということはないのです。よって神様の乗り物である御神輿も必要ないんです(多分)。過去にもあったという記録はないそうです。


Q:4輪の屋台はどうやって方向転換するのですか?


A:これが屋台を曳く上での難しいところです。ほとんどの屋台は固定4輪で、土台に車軸が固定された昔ながらの造りなわけで、直進するのみ。曲がり角に来たらどうするのでしょう?
この方向転換には大きく分けると二通りの方法が見受けられます。
一つはこじる場合。つまり静止した状態で一気にガーっと引きずるんですね。これだと道路のアスファルトが削れてしまう、どちらかというと乱暴な曲げ方です。また屋台にも横揺れや振動などの負担をかけることになります。
二つ目は前進しながら少しずつ曲げては後退することを繰り返して方向転換を終えるやり方です。前者に比べ手間はかかりますが丁寧な曲げ方です。
よく方向転換の前に屋台の下を覗き込んでいる人を見かけることがあります。あれは道路の段差やマンホールなど、車輪にひっかかりそうな障害がないか確認しているのです。屋台の曳きまわしにもいろいろ気を遣いますね。


Q:屋台の照明の電源は?


A:バッテリーです。業者さんから大型の物をレンタルして屋台の内部(土台の上)に設置します。
発電機も以前は一部であったようですが、物理的欠点として音がうるさく排気ガスが出る上に、内部に積むため発熱により屋台の生地を痛めることもあります。また状況によっては火災の危険性が伴うため最近では見かけなくなりました。


Q:昼間から屋台に笹・提灯を付けるのは何故?


A:福田に生まれ育った人にとっては当たり前のことなんですが、よその人からはよく聞く質問で、根拠は「夜の照明器具であるハズの提灯を昼間から屋台にぶら下げているのは変だ」というものです。また彫刻などが隠れてしまって見られる時がないというご批判もあります。
私自身いわれるまで何とも思っていなかったので心外でしたが、山車・屋台祭りで有名なところ(掛塚、半田、高山など)を見ると、昼間提灯は付けていませんね。これは不思議だ。そこで周りの方々に聞いてみると興味深い答えが返ってきましたのでいくつかご紹介いたします。
「手造り屋台演出説」
 昔は簡素な手作り屋台から始まった組がほとんどで、それをお祭りとして屋台らしく演出するのに最も手っ取り早い方法はというと、笹・提灯を飾り付けることでした。
最近の例ですと、ミニ屋台や軽トラなんかを同じように仕立ててあるのを見たことがあると思います。あの心理なんじゃないでしょうか。この昼夜を問わず提灯を付けるという慣習が後に本屋台を建造してからも受け継がれてきたという説です。
「ポロ隠し説」
 屋台本体を建造しても彫刻までは予算が足りず、本来彫刻の付くところには絵を描いた簡素な板がはめ込まれていたり、幕が張られていたりしたといいます。これはあまり見栄えのいいものではないため、目だたなくする方便として笹・提灯を昼間から付けていたという説です。
「五穀豊穣説」
 福田の祭りは秋の収穫祭でもあるため、屋台にもそれらの要素が求められました。そこで笹・提灯を「稲穂に小判」と見立てて五穀豊穣に感謝する気持ちをあらわしているという説です。これなら昼夜付けていなくてはなりません。
 お話ししてくださる方によって立場や考え方の違いがありますので、どれが本当ということは一概には言えないのですが、どれも面白い理由ですね。
 結論としては昼から屋台に笹・提灯を付けて曳きまわすというのが福田の民族性ということで、いいのではないでしょうか。

←戻る